追記記事を16日にアップ予定です
ネット上のあちらこちらのサイトで色々な文章を読みますが、
「個人的な意見なので」とか「日記だから」という理由を掲げて
「突っ込むな」と書かれているサイトがたまに見られます。
森博嗣さんのblogのこのエントリのように
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/02/post_963.php
「今年は暖冬で嬉しい」という相手の感想に対して突っ込むのは
ただの「いちゃもん」と言えますよ。
意見でもなんでもないのですから、突っ込む方が野暮です。
しかしある物や人に対して、意見していたり、コメントしていたり、
批判していたりするのに、「日記だから突っ込むな」と
他者の意見を排除するような言動は健全とは思えません。
僕は批判コメントや評価をしている文に対し、事実誤認や
不見識の指摘をする事は問題ない事だと思います。
きちんと筋道を立てた意見であれば、
僕はあっさり受け入れると思います。
これは僕がモヒカン族(ネット用語の方)の思想を重視しているからです。
WEBという公の場で文章を披露する際に、デメリットを拒否し
メリットのみを享受するのは問題があると思います。
ちなみに、上で挙げた森博嗣さんの発言については、
今回のような状況では理解できるのですが、
それを全ての場合に適応するのは危険だと言わざるを得ません。
酷い言い方をすれば言論統制・言論封鎖になりかねませんから。
もし自分の文章に対し「突っ込むな」と言える人がいるとすれば、
それは何にも意見していなかったり、評価していなかったり
批判していなかったりする人でしょう。
でも、意見や評価や批判の入っていない文章は
読んでいて面白くないでしょう。
第一、文章ってその人の伝えたい事を書くのですから、
多少なりとも意見や評価、批判などが入るはずですし。
ちなみに「日記だから」という事で突っ込みを回避しようとする人は、
この記事を読んでも僕に突っ込む事は出来ないですよね。
その論理が成立するのであれば、
僕が「これは日記だから突っ込むな」って言ったら、
突っ込めなくなるのですから。
まあ、僕はそんな事は言いませんけどね。
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