日本語は、少しの表現の違いでも印象が大きく違ってきます。
例えば
『理解していただけたコトに感謝します』
『理解していただけた事に感謝します』
この2つの文は「こと」の部分が、
漢字とカタカナで表記違いになっているだけです。
しかし、受け取る印象に関してはどうでしょうか?
下の文では感謝の意を表しているように見えますが、
上の文は下の分に比べて、感謝の意が薄く
感じられるではないでしょうか?
(僕個人としては、少し見下した表現のようにも感じます)
たったこれだけの違いですが、同じ言葉でも
相手に対しての印象は大きく変わってくる事となります。
ここからが本題、下の記事の中のある表現に対し、
僕は大きな違和感を覚えました。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/24080/
「ぼくも悪いことを言ってしまったかもしれない。謝りたい」
「ぼくも悪いことをしたかもしれない」
この文章では「ぼく『も』」という表現を使っていますが、
「自分もやったけど他の人もやったのだから、
自分だけの責任ではないんだよ」
という言い逃れをしているように感じました。
これは記事なので、実際にこの言葉を使っていないかもしれません。
しかし、実際にこのように発言していたとするのであれば、
僕にとっては謝罪の言葉に受け取れません。
……というエントリを書いておいたので、
仕事から帰ってきてアップしようとしたら
このニュースが入ってきて「やっぱりな」という感じ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&
d=20061022&j=0022&k=200610220665
家族に謝罪した子と同じではないかも知れませんが、
罪の意識なんて全く無いんだろうか……。
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