「自分はおかしな人間だと思いたくない」という心理は、
実に危険だと思ったりもする
こちらblogのエントリ中の二つの文にドキッとさせられました。
>その手の「他者の視線を気にしすぎる人」は、
>必ずその人がそう成りたくないポイントだけを
>邪推して反応してくる。
>自分が行動することによって「また○○がどうしようもない事を
>しているよ。本当に○○はダメな奴だな」とブラックマジックを
>吐く人は必ず存在する。
>というか、そういう人が周りに居ないのであれば、
>それは世界の多様性が失われていて脆弱である証拠だから、
>行動範囲の狭さを疑った方が良い。
(上のアドレスより引用、改行のみ挿入しています)
この2つの文章は心に響きましたね。
(エントリ中のブラックマジックというのは、
相手を陥れるために使う言葉……という定義で良いのかな?
この言葉の前後の分だけ文意が読み取りにくかったので
微妙に解釈を間違っているかも)
ここからの内容は紹介したエントリからは
少しずれた話になるかもしれませんが……少々お付き合いを。
僕は自分自身の考えを基にして行動するようにしていますが、
当然全てにおいて正しい行動が出来るわけではありません。
その正しい正しくないも、人によって判断が異なるのですが、
ここではその話は置いておきます。
blogに関しても自分の考えを基に書いてあるので、
考えが異なる方にエントリに関して指摘を受ける事もあります。
その時、指摘に対し納得できれば受け入れるし、
納得できなければ指摘してきた相手と
納得いくまで話し合いたい、そう思っています。
(だからこそ意見は拍手ではなく、メール・コメントなど、
やり取りが出来る形で頂きたいと思っています)
自分の場合、ネガティブな意見でも、
理の通った納得できるものなら進んで受け入れられます。
理が通っていなかったり把握できない物に関しては、
徹底的に「何故?」と質問します。
納得出来ないのに場を収める為に引くなんて事は、
自分のポリシーには反しますから。
きちんと自分の理を通しながらも、
相手の意見の理が通っていた場合に柔軟に受け入れる。
「人は人、自分は自分」なんて言葉は一番の思考停止ワード。
常に思考停止に気を付け、自分を高めていくためにも、
自分の悪い所を受け止める自らの度量と、
その悪い所を指摘してくれる人が必要だと改めて感じました。
全てが賞賛の世界だったら人間は間違いなく腐るでしょう。
確かにマイナスな評価はきついですが、
マイナスな評価があるからこそ、自分を客観視出来ますし、
それをバネに頑張れるはず。
上手くまとまらなかったけど以上で。
こういうエントリに出会うたびに、
色々な考えを巡らせるきっかけとなった
今回のエントリに出会えた事も幸運に思いますね。
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