この前の日曜日あたりから、
尊厳死をめぐっての問題が出てきています。
そして昨日の仕事の合間にたまたま見た番組で
妻の介護のために辞職をした高槻市長が特集されていましたが、
スーパーに「死んでくれれば……」というような事が
書いてありました。(正確な言葉は忘れてしまいました)
ショッキングな言葉だと思われるかもしれませんが、
その気持ちは分からないでもないです。
介護に疲れて心中を図るというニュースが、
年に数回は流れるように、介護を長期間続けている人に
かかる負担というのは計り知れないものですから。
実際、介護を数年続けた人達の中には
「何のためにやっているのか?」とか
「(介護の対象が)幸せなんだろうか?」という事を
思い巡らせる事があります。
さらに「いっそ死んでくれれば楽なのに」なんて
ネガティブな思考にまで陥る事があります。
さらに介護をしている人たちに対して
「遺産のためにやっているのか?」とか、
「点数稼ぎしちゃって」というような言葉も
周りの人達から浴びせられる事もあります。
そして介護をし始めた場合、看取るまで介護を続けないと
対象者を殺してしまったという思いを抱く方も少なくないので、
途中で止める事が出来なくなってしまうのです。
対象者にもう意識がほとんど無く、
介護をしている人間を認識できないような場合には、
本人からの言葉(特に感謝の言葉)が返ってこないので、
介護している側の心理的負担はさらに増大します。
このように介護とはとても大変な物です。
そしてその介護のせいで家族が喧嘩し、
バラバラになりかねない……
そんな状況もこれからたくさん出てくる可能性が有ります。
ですから「呼吸器を外しますか」という提案をされたら、
介護を長く続けて疲弊しきっている家族が
渡りに船とばかりにその提案に乗ってしまうのは
心情的には理解できます。
それほど介護をし続けている家族というのは
辛い状況におかれている事が多いのです。
今回の尊厳死の事件と、高槻市長のお話は
自分の考えを改めて整理する良い機会になりました。
僕の場合、いざという時には延命治療はしてほしくない
という意思を親などに常日頃から伝えています。
また不慮の事故が起きた際に、1つでも多くの命が助かるようにと
ドナーカードを携帯するようにしています。
これからは高齢者の割合がどんどんと増えていき、
このような事例はたくさん出てくる事と思います。
この問題の最大の解決策は、
本人がしっかり意思表示をしておく事。
その為の法整備をしたり、個人がそれぞれで意思表示したりと
それぞれが出来うる努力をすべきだと思っています。
今回の事件を見て、この事を改めて強く感じました。
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