こちらは理屈で考えて真面目に議論しようとしているのに、
その時点では絶対に手に入らない「経験」というシールドで
議論を跳ね返されるのはどうにも納得がいかなかった。
(from 不倒城「私にとっての中二病」)
自分も同じような子供だったので同じ事をよく言われ、
その都度「やるせない気持ち」になっていたのを思い出しました。
こういう人、多いんだよな。
この手を使われると、個人的にはとてつもなく「ずるく」感じます。
このような事が起きるのは、そもそも経験を盾にする人の中に
「言い負ける事を怖がる人」が多いからかもしれません。
議論を勝ち負けで捉えていて、自己保身の為に議論から避け続ける……
議論によって新たな視点・価値観が得られる可能性もあるのに、
それを放棄してしまうのはもったいないな、と思うのですよ。
例えば子供相手でも、議論で間違った部分があると思ったら
テッテー的につきつめてやる。私は子供相手でも手加減はしない。
相手が子供だから、ということで手加減するのは
子供に失礼だと私は認識している。
かつて私自身がそう思っていたから。
(from 不倒城「私にとっての中二病」)
個人的にはこういう大人が理想像。
今も子供と接している為、似たような状況が良く訪れますが、
理屈・屁理屈を駆使していつも戦っています。
そんな事を繰り返していると、成長を感じ取れるのですけど……
今は子供を王子・姫君のように扱う親が多いからか
歯応えがある相手が少なくなって来ているかも。
親が強大であればあるほど、子も様々な手を駆使して
それを乗り越えようとしてくれると思うんだけどな。
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